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大阪地方裁判所 昭和34年(わ)1982号 判決 1966年3月30日

被告人 帖佐義行 外四名

主文

被告人片本清作、同森本哲也、同平田辰男を各罰金五、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納しないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

被告人帖佐義行、同尾上文男は無罪。

被告人片本清作、同森本哲也は、公訴事実第一の点については無罪。

訴訟費用中、証人名取信義、松本昇、比嘉周子(ただし第一三回公判の分のみ)、中川美保子、仲田貞子、藤本昇、武野宏、岩城俊雄、寺井宗雄、角田静子に支給した分は被告人片本清作、同森本哲也、同平田辰男の連帯負担とする。

理由

(罪となる事実)

被告人片本清作は、総評大阪地方評議会常任幹事、被告人森本哲也、同平田辰男は、いずれも総評大阪地方評議会常任書記をしていたものであるが、一〇〇名位の総評加盟労働組合員と共謀の上、昭和三三年四月九日大阪市東区京橋前之町二番地府立大手前会館において開催された関西主婦連合会主催第二回消費者大会において、午後一時二五分頃から午後二時頃までの間多衆の威力を示して野次をとばし喚声をあげ、関西主婦連合会会長比嘉周子を誹謗する替え歌を高唱し、風船を割り、被告人森本において笛を吹くなどマイクの声も殆どきこえないほど騒ぎ立て、被告人平田において司会者からマイクをとりあげ、ほしいままに壇上から演説を行い、被告人片本において壇上に掲げられていたスローガンのビラを引きちぎるなどして大会の運営を阻害し、議事を中断させ、もつて威力を用いて右関西主婦連合会の消費者大会開催の業務を妨害したものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人片本、同森本、同平田の判示所為は、刑法二三四条、二三三条、六〇条、罰金等臨時措置法二条一項、三条一項一号にあたるところ、後述のように本件は労働争議より派生したもので、被害者たる関西主婦連合会の不当な争議介入に対する労働組合の抗議活動の行き過ぎとみるべきであり、加うるに主催者側の大会運営も必ずしも適切なものではなかつたこと、その他諸般の情状を考慮して、各被告人に対し罰金刑を選択したうえその所定罰金額の範囲内でいずれも罰金五、〇〇〇円に処し、刑法一八条により右罰金を完納しないときは金五〇〇円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により主之第五項のとおり右被告人らの連帯負担とする。

(公訴事実第一について、無罪理由)

公訴事実第一の要旨は

被告人帖佐義行は総評大阪地方評議会事務局長同片本清作は同会常任幹事同森本哲也は同会常任書記同尾上文男は総評大阪医療労働組合書記長として、大阪市都島区都島本通四丁目二〇番地所在社会福祉法人都島友の会(理事長比嘉周子)経営にかかる都島病院の従業員の一部をもつて組織していた総評大阪医療労働組合都島支部と右都島友の会理事者との間に発生した労働争議の指導に当つていたものであるが約八〇名の支援労組員等と共謀の上

(一)  昭和三三年三月三一日午前八時過頃関西主婦連合会(会長比嘉周子、以下関西主婦連と略称する)が都島友の会より借り受け関西主婦連事務所として管理使用していた都島病院に故なく侵入し、

(二)  右のように関西主婦連事務所に侵入した上、同所を多衆の威力を示して占拠し、被告人森本哲也、同尾上文男等において同日午前八時三〇分頃同病院内関西主婦連内職斡旋所事務室で、同主婦連事務局長武田好子に対し、同人を取り囲んで「出て行け」等と怒鳴りつけ、同人の肩を掴み背中を突き飛ばすなどしながら同内職斡旋所出入口から道路に押し出し、被告人片本清作等において同日午後一時頃、同主婦連事務室で同副会長藤井登美恵に対し同人を取り囲んで「三分以内に出て行け、出ないのなら暴力でも押し出せ」などと申し向けながら同人の腕を掴み肩や背中を突き飛ばすなどして右内職斡旋所出入口から道路に押し出し、同主婦連事務局員松井恵美子、中尾美智代、奥田貞子等に対しても、同人等が同日執務のため同主婦連事務局に入ろうとするのをスクラムを組んで気勢をあげ押し返すなどして入室を阻止する等の暴行を加え、あるいは被告人帖佐義行において同日午後五時頃、右藤井登美恵等が同主婦連の事務上必要な書類を持ち出そうとするや「一物たりとも持ち出させてはいかん」などと申し向けて同人を威迫し、爾来同年七月一七日頃まで引き続き被告人等多数において同主婦連の事務所を占拠し多衆の威力を示して同所における同主婦連の内職斡旋などの業務一切の遂行を不能ならしめ、もつて昭和三三年三月三一日より同年七月一七日までの間威力を用いて右関西主婦連の業務を妨害したものである。

というにある。

(弁護人は、右公訴事実は刑事訴訟法三三九条一項二号にあたるとして公訴棄却の用立をしたが、争議行為の正当性の範囲は後述のとおりであつて、同法条の要件には当らないので右主張は理由がない)

当裁判所の無罪の判断は次のとおりであるが、以下の事実は、公判調書中証人福井啓一(第九回公判)、比嘉周子(第一二、一五回公判)、藤井登美恵(第一七、一八回公判)、武田好子(第一九回公判)、依田壮介(第二〇、二一回公判)、松井恵美子(第二二回公判)、中尾美智代(第二三、二四回公判)、太田八千代(第二六回公判)、山口義一(第二九回公判)、柴田智恵子(第三七回公判)の各供述記載、萩原(旧姓奥田)貞子の証人尋問調書、証人小川道子(第三八回公判)、小貫富雄(第三九回公判)、池上一盛(第三九回公判)、山本敬一(第四〇回公判)の当公判廷における各供述、松井恵美子、岡本拓の検察官に対する各供述調書、被告人尾上文男(第四五回公判)、帖佐義行、片本清作、森本哲也(いずれも第四六回公判)の当公廷における各供述、司法警察員堀口重一作成の実況見分調書(写真二〇枚、図面五枚添付)、司法巡査福井啓一撮影の写真帳、大阪府地方労働委員会事務局長発行証明書(都島病院閉鎖に関する同委員会の警告の事実証明)、同委員会の命令書写、大阪地方裁判所和解調書写、同裁判所仮処分決定謄本、押収してある関西主婦新聞四七枚(昭和三六年押第一四三号の一)、関西主婦連合会規約(同押号の二)、社会福祉法人定款変更認可申請書控一通、(同押号の一三)、病院廃止届謄本一通(同押号の一四)、定款変更認可申請書一冊(同押号の二〇)を綜合して認定したものである。

一  本件都島病院争議の経緯概要

都島病院(以下病院と略称する)は、社会福祉法人都島友の会(理事長比嘉周子)が大阪市都島区本通四丁目二〇番地に設置経営していたもので従業員は医師、看護婦、栄養士、炊事婦をあわせて二〇人余であつた。

昭和三二年八月一五日、病院従業員は、当時総評大阪医療労働組合(以下組合と略称する)書記長であつた被告人尾上、総評大阪地方評議会常任書記であつた被告人森本らの指導のもとに組合都島支部(以下支部組合と略称する)を結成し、同日の結成大会において、使用者に対し(1)労働基準法に明記されている労働者の諸権利の確認、(2) 夏期手当一カ月分支給、(3) 八月以降一率一、〇〇〇円賃上げ、(4) 定期昇給制度の実施という四項目の待遇改善要求を行うことを決め、大会終了後支部長松本晴子及び被告人尾上が理事長比嘉周子に対して電話で支部結成を通告するとともに、翌一六日に団体交渉をしたい旨申し入れた。ところが比嘉理事長は、病院労働組合の総評加盟を非難し、支部組合との団体交渉の申し入れには応じられない旨返答し、翌一六日午前九時頃、松本支部長及び被告人尾上から前記四項目につき同日団体交渉を開催されたい旨の申入書を病院事務長依田壮介を通じて受取つたが、院長室にこもつて右松本、尾上と会おうとせず、依田を通じて、組合の要求には経済要求が含まれているので理事会を開催するまでは団体交渉に応じられない旨回答すると同時に病院閉鎖をほのめかした。

そこで組合は、同日、病院理事者の態度を労働組合法七条二号、三号に該当する不当労働行為であるとして大阪府地方労働委員会に救済を申し立てた。

これに対し、同月二三日に開催された都島友の会理事会は、以後の病院運営を比嘉理事長と整理委員会に一任することにして比嘉理事長の人選による整理委員会なるものをつくり、同月二八日、地労委の勧告でもたれた団体交渉の場において、比嘉理事長は病院経営については整理委員会に一任してあること及び地労委に事件が係属している現在、その指示があるまで責任ある団体交渉をもちえないと主張して結局団体交渉には入らなかつたのであるが、翌二九日比嘉理事長と整理委員会は、病院の診療を廃止して清算整理に入ることを決定し、ただちに従業員に対し「九月一日より病院を閉鎖することとなつたので今日限りで解雇する。これより残務整理に入る」旨通告するとともに同日付の郵便で予告手当の受領方及び病院内寄宿舎よりの早期転出を求め、同年九月一日より、残務整理委員による残務整理に入つた。残務整理委員には、前記整理委員九名の外一〇名が選任されたが、その中には組合脱退者七名組合脱退の意思表示をした者一名、組合員一名が含まれていた。

大阪府地方労働委員会は、同月二五日比嘉理事長に宛て病院閉鎖及び組合員解雇は労働関係調整法三七条に違反する争議行為の疑いがある旨の警告を発し、ついで同年一〇月一〇日、都島友の会に対し(一)支部組合員を原職に復帰させること、(二)団体交渉を拒否してはならないこと、(三)病院閉鎖を口実に支部組合員を解雇するなど支部の結成運営に介入したことにつき支部組合員に陳謝し、今後かかる行為を繰返さないことを誓約することを命じた。しかし都島友の会は右地労委の救済命令に対して直ちに不服申立の行政訴訟を起し、その頃(契約書日付は一〇月三〇日)残務整理の済んだ病院建物を関西主婦連合会(会長比嘉周子、以下主婦連と略称する)に賃貸してしまつた。

支部組合員は、大阪地方裁判所に対しても従業員地位保全の仮処分を申請していたが、同年一一月一六日、同裁判所において(一)都島友の会は支部組合員の解雇の意思表示を撤回し、同人らが都島友の会の従業員たる地位を保有することを確認する、(二)都島友の会は早急に病院業務の再開に努力するものとし、遅くとも昭和三三年四月一日を期して再開するよう誠意をもつて努力すること(三)諸般の事情から再開が不能のときは、都島友の会は従業員の整理及び退職金につき支部組合と協議するものとする。右協議がととのわない間は都島友の会は支部組合員に対し休業補償を継続して支払うこと、を骨子とする裁判上の和解が成立した。

これにより支部組合は都島友の会理事者に対しあくまで病院再開を要求したが比嘉理事長は、融資及び医師が獲得できないから再開不能であると称して支部組合に対し支部組合員の退職金を取り決めるための団体交渉を申し入れ、支部組合がこれに応じないとみるや昭和三三年二月末、再び支部組合員全員に対して解雇を通告した。

かくて支部組合は、前記和解条項に定められた病院再開期限の前日にあたる同年三月三一日、病院再開の要求を貫徹するため、また当時病院建物内に居住し、比嘉理事長や主婦連事務局員から種々の嫌がらせを受けていた支部組合員の居住権を守るため、午前八時過頃から総評傘下の労働組合員の応援を得て、総勢七、八〇名で病院建物の周囲にピケツトラインを張り、後述するような方法で同建物内における主婦連事務局員の就労を阻止し、翌日以降もピケツテイングを続けた。

争議は長期間にわたつたが、ついに病院は再開せず、昭和三四年一〇月頃、「病院建物内に居住する支部組合員は都島友の会から立退料の支払を受けて同建物から退去する」旨の裁判上の和解成立を最後に支部組合員はそれぞれ他に就職して去り、ようやく争議は終結した。そして前述の通り病院再開は不可能であると強く主張して来た都島友の会は恰も掌をかえすように都島診療所と名称を改めて病院を再開した。

二  本件争議における都島友の会理事者の不当労働行為

以上のように本件争議は、比嘉理事長が支部組合から支部結成の通告に対しその総評加盟を容認せず、総評に加盟した同組合との団交を拒否し、病院閉鎖をほのめかしたことに端を発している。いうまでもなく労働組合が総評に加盟すると否とは労働者の団結権の内容であり、労働組合が自主的に決定すべき事柄であつて病院組合が総評に加盟したことを問題にして団交を拒否し、あるいは支部組合員の解雇を意味する病院閉鎖をほのめかすごときは労働者の団結に対する不当な介入であり団結権に対する侵害行為といわなければならない。「理事会を開かなければ交渉に応じられない」という団交拒否の理由も、大阪府地方労働委員会が前記救済命令において指摘しているように、理事長が法人業務のすべてを独断専行し得ない場合においても、法人の代表機関である理事長が支部組合の要求事項についてその説明を受け相互に主張検討した後理事会にこれを報告してその決定をまつこともできるのであり(それはまた通常行なわれている団体交渉のやり方である。)まして「労働基準法上の諸権利の確認について」という支部組合の要求事項中には理事会の議決を要しない部分もある筈であるから、正当なものとはいえず、これは支部組合との団交を回避する口実としか考えられないのである。しかも比嘉理事長は、支部組合から書面で正式に団交の申し入れを受けたその日に労働基準局に相談に行き、団交に応すべき義務があることを教えられながら、その後も支部組合との交渉の機会をもとうとせず、八月二三日の理事会で整理委員会なるものをつくつて同月二八日の地労委の勧告下で行なわれた団交では病院の運営方針を整理委員会に一任してあることを理由に支部組合の要求事項についての交渉を拒否し、翌二九日には整理委員会の決定ということで九月一日からの病院閉鎖従業員解雇を発表、病院の残務整理を終えるやいなや主婦連に病院建物を賃貸し、同所に主婦連事務局を移転させて病院を事実上消滅させようと企てたのであつた。

比嘉理事長は、病院閉鎖の理由について、組合の地労委に対する救済申立か新聞に出たため銀行等からの融資や薬品の納入がとまつたことを挙げている(第一二回公判調書供述記載)が、労働争議の発生によつて取引銀行や薬品商が融資や納品をある程度控えあるいは躊躇することがあつてもこれらの支障は争議の解決によつて当然除去されるものであつて(社会事業振興会からの貸付の一時中止は、大阪府地労委の調査により、争議が解決すれば解除されることが判明している)組合とその要求事項について何ら交渉しないでおいてこれらの支障を閉鎖の理由とすることは全くあたらない。また都島友の会の議事録によれば、八月二三日の理事会において、比嘉理事長が昭和三二年一月以降七月までの診療所収支計算書を提示し、その七カ月間に約一〇〇万円の超過支出があり、このまま経営を続ける場合でも健全経営が危ぶまれる現在、支部組合の要求事項のうち金銭的負担を伴うものはこのままの状態では絶対に応じ難い旨経営の実情を説明したとある。しかし同年二月以降病院事務長の職にあり、経理を担当していた依田壮介の説明(第二〇回公判調書供述記載)によれば、「病院を三段に分けて増築しております。第一は比嘉勇さんが建てた病院があつてそれに片側だけの病棟を建てまして、その次にまた片側を第三次の、増築という意味からいうと第二次になりますが、増築をやつた。それが僅か五、六年だと思いますが、その間にそれだけの増築をやつてそれを病院のあがり高から全部払つていつたんです。したがつて赤字になるのが本当なわけなんです。当然病院なら病院の施設をこしらえて、それからあがつた果実が損になるとか黒字だというのならわかりますが、その建てた経費までも全部病院の収入から落してしまつてそれが赤字だということは本来私ども経理をやるものからいえば不思議でならないわけなんですけれどもそれをそうしろといわれたんですが、そういう意味においては赤字であつたわけです」というのであつて、七カ月に一〇〇万円の超過支出というのは経営の実情を示すものではない。のみならず依田事務長が経理を担当するようになつてからは経理事務の整理、経営の節約等によつて病院経理は好転して経営は軌道に乗り、昭和三二年八月一五日には看護婦宿舎兼病棟の建設に着手するなど発展に向つていたことが認められるのである。

さらに都島友の会理事者の病院閉鎖決定のしかたについてみると、当時都島友の会の理事は比嘉理事長と安原治之理事を除いたほかは名目的な存在であり、都島友の会の事業は実質的には比嘉理事長の独裁で運営されていたこと、昭和三二年八月二三日の理事会も理事としては比嘉理事長と安原理事だけが出席していたのみで、このときにはすでに病院閉鎖の方針を決めており、依田事務長の起案にかかる閉鎖の挨拶状すらできていたが、同月二八日に予定されていた地労委斡旋下の団交で閉鎖の方針を明らかにするのは不得策であるとして右団交を回避する策として整理委員会をつくりこれに病院経営を一任した形をとつたにすぎぬものであり、したがつて同月二九日の整理委員会というのは実体がなく、たゞ署名を集めて(署名した者が整理委員ということになる)、病院閉鎖決定を形式的に成立させたものであることが認められる(第二〇回公判調書中依田壮介の供述記載)。

これら事実に徴すれば、病院閉鎖が経営難によるものではなく、支部組合員を解雇によつて一掃し、支部組合を消滅させるためにとられた措置であることは(前述のように支部組合が解消されるやいなや病院を再開したことからみても)明らかで、これも団結破壊の不当労働行為といわなければならない。

その後同年一一月一六日大阪地方裁判所において、都島友の会と支部組合員との間で前記和解が成立したが、証人依田壮介の供述(第二〇回公判調書)によれば、比嘉理事長は当時頑強にこの和解に反対していたこと、したがつてまた和解によつて義務づけられた病院再開の努力にしても右和解条項にある「誠意をもつて」履行する意志は、はじめからなかつたものと認められ、和解によつて定められた病院再開期限の昭和三三年四月一日さえ経過すれば病院再開義務から免れるとの考えのものに、再開不能の理由のひとつとして医師の獲得難を挙げながら組合が紹介した医師はことわり、ひたすら時の経過を待ち、他方同年二月末に再び支部組合員全員に解雇通告をなし、解雇手当を供託しておいて、病院建物に居住する支部組合員に対しては直接あるいは主婦連事務局員を通じて同建物から退去を要求するとともに電気やガスの供給をとめたり、夏期でも門限を午後九時にして支部組合員の建物出入りを制限したり、部屋の畳をはごうとするなど圧力を加えていたものである。

三  本件争議に対する主婦連の介入

関西主婦連合会は、婦人の解放、新生活運動等をその目的に掲げ、機関紙(関西主婦新聞)の刊行、図書出版、各種内職斡旋、各官公署及び公共機関に対する苦情の相談、家庭経済の助け合い運動、教育と文化を身につけるための講演会等の開催、無料健康相談、その他の諸事業を行う婦人団体であるが、会長は都島友の会理事長の比嘉周子であり、事務局は本件争議発生当時には都島友の会経営の大阪市都島区都島本通五丁目五番地都島児童館内にあつた。

主婦連は、本件争議発生後まもない昭和三二年八月二〇日及び同月二二日の両日、副会長藤井登美恵、事務局長武田好子ら代表者数名を総評大阪地方評議会本部に送つて同会幹部に対し、争議に関して都島友の会理事者のために弁明を試みたが、同年九月五日の関西主婦新聞に、関西主婦連代表者会議の名において「都島病院に人権じゆうりん、不当労働行為、暴力行為の事実はない。病院閉鎖に至つたことは赤字経営で苦境にある事実も、その内容ならびに情勢分析もしない総評の拙劣な戦術の結果によるものである。比嘉理事長には健全な組合設立をはばむ意思は毛頭ない。総評の責任ある幹部四名と主婦連代表四人との対談の席における証言によれば、関西主婦連が総評の主催する運動に協力しない腹いせと、比嘉理事長の社会的地位を葬ること以外のなにものでもなかつた。総評が今後かかる戦術をもつて中小企業や社会福祉事業体にほこ先をむけるならば、社会から相当きびしい批判を受けるものであることを警告する。本会は今後総評がこれらの非を改めなければ総評の運動に協のしないことを声明する」旨の同月四日付声明書を掲載するとともに、同新聞において「総評ににらまれた関西主婦連、許されぬ言葉の暴力」(同年九月五日付)、「総評につぷされた都島病院、忘れられた労働運動の本質」(同月一五日付)、「患者を犠牲にした総評」(同年一〇月一五日付)、「総評の反省を促す、争議屋は葬儀屋か」(同月二五日付)等の見出しのもとに総評非難の記事を大々的に報道して、本件争議における総評指導の組合運動を激しく攻撃し、さらにはこれら新聞を支部組合員の親許に郵送して支部組合員の動揺分裂をはかつた。

他方これに呼応するかのように、比嘉会長は、前記藤井副会長、武田事務局長を病院の整理委員に指名選任して病院閉鎖決議(昭和三二年八月二九日付整理委員会議事録)に署名させ、同年九月一八日の都島友の会理事会において右藤井副会長と同じく副会長であつた入江正子を都島友の会の理事に選任し、主婦連と都島友の会との組織的結合を一層強めた

このように本件争議の第三者たるべき主婦連は、都島友の会の口となり手足となつて争議に介入したのであるが、とりわけ現に争議中の病院建物全部を故意に且つ必要な監督庁の許可も受けずして借り受け、そこに主婦連の事務所を移したことは最も重大な争議介入行為といわなければならない。けだし、これによつて病院閉鎖を既成事実化し、病院再開を益々困難ならしめるとともに病院閉鎖による都島友の会の損失をある程度償い、反面支部組合員から組合活動の拠点たる職場を奪つて組合の病院再開闘争を殆ど無力にしてしまうからである。しかも主婦連は病院建物内に居住する支部組合員に対しては前述のように同建物からの退去を要求して種々の嫌がらせによつて圧力を加えていたが、昭和三三年三月下旬にいたり、同年四月九日の主婦連主催、第二回消費者大会に参加するため地方から来阪する会員の宿舎として病院建物を利用するからと称して支部組合員の部屋の畳まで提供するよう要求していたのであつた。

四  昭和三三年三月三一日、病院建物及びその周辺における被告人らの労働組合員の行動

ここにおいて総評大阪地方評議会の本件争議指導部は、総評大阪医療労働組合員その他総評傘下労働組合員が支部組合員を応援して主婦連の不当な病院建物使用を阻止し、かつ同所を支部組合員の職場として確保することによつて病院再開斗争態勢を一段と強化し、あわせて支部組合員の居住権を守るため、前記大阪地方裁判所の和解によつて定められた病院再開期限の前日たる昭和三三年三月三一日に団体行動を起すことを決め、本件争議指導部の責任者たる中小企業対策部長山本敬一の指令のもとに、同日午前八時過頃から午後四時頃まで、支部組合員のほか被告人尾上、同森本、総評大阪地方評議会事務局長の被告人帖佐、同会常任幹事の被告人片本を含む総評大阪医療労働組合員その他の総評所属支援労組員約七、八〇名が病院建物の周辺にピケツテイングを張り、建物内に入つている主婦連事務局員に対しては建物内に立ち入つて退去を求め、あるいは同建物の表道路でデモ行進をして気勢をあげ、午後四時頃以後は支部組合員ほか少数の支援労組員が同建物内に残つて監視をつづけ、同建物内居住し同建物を管理していた主婦連内職部主任太田八千代の行う内職斡旋業務を除き主婦連事務局員の同建物内における執務を阻止した。しかし主婦連事務局員が同建物内から私物を持ち出すことや内職斡旋をうけている人の出入りは阻止しなかつた。

その間

(一)  被告人尾上及び同森本は、午前八時三〇分頃、出勤してきた主婦連事務局長武田好子に対し、同建物内の主帰連事務室において退去をもとめ、これに従おうとしない同人の背を身体で押してすぐそばの内職斡旋所出入口から戸外に押し出したのであるが同女はこれに対しなんら抵抗はしなかつた。

(二)  被告人片本ほか数右の労組員は、私物を持ち出すと称して建物内の消費者協議会事務室に入つてきた主婦連副会長藤井登美恵が、私物をまとめたのちも、再三の催促にもかかわらず、他の事務局員と話をしたりして出ようとしないので、同女の身体を押してすぐそばの内職斡旋所出入口から戸外に押し出した。この点について証人藤井登美恵の供述(第一七回公判調書)によると「わたしを胴上げしてかついで表からほうり出したんです」とあるが、目撃していた太田八千代、奥田(現姓萩原)貞子はいずれも藤井登美恵は押し出されたものであることを証言しており(太田八千代第二六回公判調書、萩原貞子証人尋問調書)、また証人比嘉周子の供述(第一二回公判調書)によると藤井登美恵は「椅子ごと外にほうり出された」と当時語つていたというのであり、同人が総評に対する反感憎悪から誇張した表現をしがちであることがうかがわれ、さらに同女がそのとき別段怪我もしていないこと(同女のいうように胴上げしてかつがれそのまま建物の外にほうり出されれば多少とも怪我をするはずである)などを考えあわせると同女の前記供述はたやすく措信しがたい。

(三)  以上のようなピケツテイングによつて病院建物内で執務できなくなつた主婦連は、その事務処理上必要な書類を同建物から持ち出すため、組合側弁護士の諒承を得て、午後五時頃、藤井登美恵ほか数名の事務局員が、主婦連側の岡本拓弁護士に附添われて右建物に赴き、多量の書類を風呂敷包にして持ち出そうとしたが、このときたまたま来合せた被告人帖佐は、藤井らに対し「何を持ち出すかわからん、一物だつて持ち出しちや困るじやないか」と文句を言つた。これに対しては岡本弁護士が、それが主婦連の書類であることを説明したうえ持ち帰つたのであつた(証人藤井登美恵第一七回公判調書供述記載)。

そして翌日以降も支部組合員及び支援労組員は病院建物に集り、同建物内の松本支部長の寄宿室を支部事務所がわりに使用してピケツテイングを続け、同年七月一七日まで主婦連の同建物使用を阻止し、ただその間前記太田八千代のみが内職斡旋業務を細々ながら同建物内で続けていたものである。

五 右ピケツテイング並びに被告人らの行為の正当性

(一)  支部組合員及び支援労組員による右ピケツテイングは外形的には、争議の第三者たる主婦連の業務を阻害するものであるが、争議手段としての意義は、都島友の会理事者が、病院建物を主婦連に賃貸する(すなわち事業所を他の営利用途に供する)ことを阻止し、同時に支部組合員の職場を確保することにあり、それによつて支部組合員の解雇撤回並びに病院再開要求を貫徹しようとする争議行為である。

(二)  そこで本件ピケツテイングの正当性について検討する。

すでに述べたように都島友の会理事者の病院閉鎖、従業員解雇は、支部組合に対する一方的かつ露骨な団結権侵害の不当労働行為であるが、このように使用者が不当労働行為の手段として事業所閉鎖従業員解雇をなし、これに対する争議中であるにもかかわらず事業所を他に賃貸してしまつたばあい、労働組合としてはピケによつて賃借人の当該事業所使用を阻止するという方法で使用者の右賃貸を阻止することが、この際唯一の有効な争議手段であり、もしこのような争議行為を正当でないとするならば使用者はかかる方法によりたやすく労働法上の義務を免れうることとなり、争議の勝敗が明らかというより労働組合の争議権自体が事実上否認されることとなり、労働組合は殆ど手も足もでずに使用者のこの種の不当労働行為に屈するほかなく、それでは労働組合の団結権、争議権を保護助成しようとしている労働組合立法の精神に反する。

しかもこのばあいピケによつて建物の使用を阻止される第三者は、事業所閉鎖、従業員解雇反対の争議中であるにもかかわらず、敢て(法律上所謂悪意を以て)事業所を賃借し、使用するものであるから当然争議行為に伴う不利益を受忍すべき地位にあるといわなければならない。まして主婦連は都島友の会との組織的つながりから、前述のように争議の当初から都島友の会と一体となつて支部組合と対立抗争してきたもので、その意味では争議の当事者的存在でもあり、その病院建物借用の争議破り的性格はより明白であるから尚更支部組合員及び支援労組員の団体行動を受忍しなければならない立場にあつたものである。

そこで本件ピケツテイングは、病院建物の周辺のみならず、同建物内において行なわれているので、ピケツテイングのために支部組合員及び支援労組員が同建物に立ち入つた点についてその合法性を考えるに、同建物はすでに主婦連の管理下におかれているものであるから、目的の正当性からただちにその合法性を是認することはできないのであるが、支部組合員と都島友の会理事者との前記裁判上の和解によれば、支部組合員の病院従業員たる地位は、支部組合と都島友の会理事者との協議がととのうまで存続するので、当時病院建物は、休業中とはいえ、本来支部組合員の組合活動が保障されるべき(争議中は尚更)職場であるところ、主婦連に対する関係においても、主婦連は前述した理由によつて都島友の会理事者と同様支部組合員の組合活動を受忍すベき立場にある。従つてまた、特段の事由のない限り、上部団体の組合員らが支部組合員の組合活動を支援するため病院建物に出入りすることもまた違法視される筋合いのものではない。してみると支部組合員並びに支援労組員らがピケツテイングのため病院建物内に入つたことをもつて不法な建造物侵入ということはできない。

ついで右ピケツテイングにおける被告人らの前記行動の正当性について考えるにピケツテイングの手段としての有形力の行使については、その態様、程度等とそのときの具体的な諸事情を統一的に考慮してその合法性を判断すべきであり、形式的画一的にすべての有形力をその程度の如何を問わず暴力の行使として不法とみなすべきではないのであつて、本件のごとく、組合側にとつてそれを破られることがそのまま争議の敗北につながる防衛的なピケツテイングにおいて、争議破り的な行動に出る第三者に対し、このピケツテイグの効果を確保するためにやむを得ない手段として必要最少限度の実力行使をなすことは、それが直接身体に対する有形力の行使であつても不当な人権侵害にわたらぬ限り正当な争議行為の範囲に属するものと認むべきである。そして争議破り的な第三者に対するものである以上支援労組員の行為の正当性の範囲を、争議主体である労組員のそれと別異に解すべき理由はない。

しかるところ、本件ではピケツテイグの対象たる主婦連は、さきに詳述のとおりのものであり、被告人尾上、同森本、同片本らの武田好子、藤井登美恵に対する行為は、前述のように、穏和な説得や団結の示威のみではピケツテイングの実効を期し難い状況のもとにおいて、いずれも極く短い距離を、抵抗を受けずに軽度の力で背後から身体を押して戸外に出したもので、その際著しく不穏当な脅迫的言辞も認められないのであるから、被告人らのこれらの行為はいまだ暴力というほどのものとは認められず争議行為としての正当性を失わないといわなければならない。

また被告人帖佐の藤井登美恵らに対する言動は、病院建物を監視する労組員の立場から、同女らの荷物持ち出しを咎めたもので、岡本弁護士も立ち合つていることでもあり、前後の事情に照らすと威迫というにあたらないものである。

なお、右ピケツテイングの際、ピケ員の一人が内職斡旋所入口附近で出勤してきた主婦連事務局員奥田(現姓萩原)貞子の腕をつかんで入所を引きとめたこと、病院建物の表道路でスクラムを組んだピケ員のデモ行進が、同建物に入るべくさしかかつた主婦連事務局員中尾美智代、松井恵美子の身体を押したことが認められるが、被告人らがこれに関与したと認めうる証拠はなく、本件ピケツテイング自体は正当なものであるから被告人等がピケに参加した一事を以て他のピケ員の右の如き行動についてまで共謀を認めうる余地もない。

また爾後七月一七日頃まで前記認定の状況で労組員がピケをつづけたことも以上の理由で違法性がない。

結局被告人らの行為は労働組合法一条二項本文にいう正当な争議行為であつて刑法三五条により罪とならないものというべきであり、他に公訴事実を認むるに足る証拠はないから犯罪の証明がないことに帰し、刑事訴訟法三三六条後段により無罪を言渡すこととする。

(公訴事実第二について、弁護人並びに被告人の正当行為の主張に対する判断と被告人帖佐の無罪理由)

以下の事実は、「証拠の標目」に掲記した各証拠を綜合して認定したものである。

一  本件消費者大会の経緯

昭和三三年四月九日、大阪市東区京橋前之町二番地大手前会館において開催された主婦連主催の第二回消費者大会は主婦連の事業のひとつとして消費者の経済生活擁護のために主婦連会員、その友誼団体及び一般消費者が参加して行う集会であり、当日の議題としては(会場内の掲示によれば)、「まじめな値段で売り買いしましよう」「品質標示法を強化せよ」「賃上げストによる私鉄運賃便乗値上げ反対」「環境衛生法による諸物価値上げの問題点」「消費者からみた選挙対策」等が、また衆議院議員神近市子の講演が予定されていた。

総評大阪地方評議会の本件争議指導部は、主婦連が右消費者大会に社会党代議士神近市子を招いたうえ社会党系の婦人団体を動員参加させておいて、本件争議に関して総評非難の決議をするおそれがあるとの情勢判断をなし、社会党系の婦人を多数まじえた集会で総評非難決議が出ることの社会的影響力を考慮して、もし総評非難決議が提案されたばあいは反対意見を述べてこれを阻止するため、と同時に大会に集つた主婦連会員に本件争議の実情を訴え、主婦連の争議介入に抗議し反省を求めるため、支部組合員及び支援労組員の大会参加を決定した。

かくて一般に売り出されていた入場整理券を買い集めたうえ、被告人帖佐、同片本、同森本、同平田を含む少くとも一〇〇名近い支部組合員及び支援労組員(以下たんに労組員という)が、当日午前八時過頃から正午過頃までにかけて大手前会館に集つた。その間一時主婦連の受付係から入口の扉を閉じられ入場を阻止されたが、被告人森本が内側から扉を開いたので詰めかけていた労組員が一挙に入場し(その後は誰でも入れる状態であつたた)、一部の労組員は、「主婦連のインチキ消費者運動に反対し、比嘉周子を糾弾しよう」という趣旨のスローガンをかいた風船を多数用意して会場入口附近で集つてきた主婦連会員らに配り、会場内では、支部組合員が主婦連会員らに対し、本件争議の実情と病院再開斗争に対する支援を訴え、同趣旨のビラを配り、その他の労組員は労働歌や比嘉周子を誹謗する替え歌を合唱したりしながら開会を待つた。

主婦連は、総評労組員の大会妨害を予想して、前日には比嘉会長自身が大阪府東警察署に大会警備を要請するとともに労組員の入場を阻止しようとしたが、強引に入られ場内が騒然としているので、午後零時三〇分頃、司会者角田房子が壇上から「入場券の整理もできていないからいつたん全員退場したうえで主婦連の人が先に入りあとから総評の人が入つて下さい」とか「入場券をもたない人は出て下さい」などと繰り返し退場をもとめたが、労組員らは「総評とは何ごとだ、われわれも消費者として来ているのだ」「早くはじめろ」などと応酬して司会者の要請に従わず、くちぐちに野次をとばし、替え歌を合唱するなどして騒いだので、それ以上どうすることもできず、このままの状態で大会を強行すべきか否かについて幹部で協議した結果いまさら中止するわけにはゆかないということになり、午後一時二五分頃、司会者角田房子の開会宣言により開会し、議長選出、会長挨拶へと進めたが、場内は開会とともに労組員の野次喚声等で喧騒をきわめ、司会者のマイクの声も殆どきこえないほどであり、比嘉会長が挨拶に出るや労組員の怒号、喚声のほか、風船を割り、被告人森本が笛を吹く(証人岩城俊雄の第三四回、武野宏の第三三回、仲田貞子の第三一回各公判調書供述記載)などの騒音がさらに高くわき起つたので挨拶ができず、司会者角田房子が「主婦連は都島病院の争議とは無関係だから総評の方は退場して下さい」などと言いながら騒ぎを制止しようとしたのに対し被告人平田が舞台に上つて司会者からマイクをとりあげ(証人角田房子の第四四回公判供述、藤本昇の第三二回、武野宏の第三三回各公判調書供述記載)、主婦連の本件争議介入の事実を指摘し、また比嘉会長を議長に選出することに反対する旨の発言をなし、労組員の喚声や替え歌の合唱などで騒ぎがおさまる気配もないので、東警察署から警備に来ていた同署警備課長岩城警部が壇上から、同署長の名において「このような状態では会が進められないので静粛にしてもらいたい、大会の運営を妨害する者は退場してもらう」旨の警告を発したのち再び比嘉会長が挨拶に登壇したがまたも一段と高まつた前同様の喧騒に立往生して引きさがると、被告人平田らは壇上からマイクで勝手に演説する有様で(証人比嘉周子第一二回、藤本昇第三二回各公判調書供述記載、名取信義撮影の写真帳六頁、同人の第九回公判調書供述記載)、会の進行ができないので、再度岩城警部が壇上から「このように騒ぎ立てれば業務妨害になる」と警告したうえ場内整理のため全員に退場を求めたところ、労組員がこれに従わずかえつて十数人が舞台に上り「何が業務妨害だ、法的根拠を示せ」などと叫びながら詰めよつてきたので、「退場しなければ実力行使する」旨最後的通告をなした。そのとき同警部に詰めよつた労組員の一人から「警官に殴られた」という声があがつたため憤激した労組員がさらに舞台に上り同警部を囲んでもみあい、一層混乱したので、客席後方に待機していた制服の警察機動隊が組合員排除の実力行使にまさに入ろうとしたとき、被告人帖佐が舞台中央からマイクで場内に向かつて「これから警察側と話合う」旨事態の収拾を呼びかけ、機動隊の制止もあつて舞台上の労組員も客席に戻り、午後二時頃ようやく騒ぎがおさまつたが、その際舞台に上つていた被告人片本は舞台正面に下げられていたスローガンのビラを引きちぎつた(証人仲田貞子第三一回、武野宏第三三回各公判調書供述記載)。その後大会は午後二時二〇分頃再開され、労組員も参加したままはじめからやり直して無事終了した。

二  被告人片本、同森本、同平田ほか労組員の行為の違法性

(一)  被告人ら労組員の大会参加の目的は、前述のとおりであつて、それ以上に大会の開催を妨害することを事前に共謀していたと認めるに足る証拠はない。そこで会場における労組員の行動を具体的に検討する。

(二)  労組員の入場の仕方は主催者側の意に反する強引なものであるが、もともと本件消費者大会は主婦連会員だけでなく、一般消費者の参加も予定され、主婦連が売出した入場整理券を購入した者は、誰でも参加できることになつていたものであるから相手が主婦連の争議介入を非難し、その消費者大会にも批判的な総評の労組員であつたとしても、入場整理券を持参している以上総評の労組員であるということだけでその入場を拒否するのは不当であつて(会場整理のために入場を拒否したものとは認められない)、それにもかかわらず入場したからといつてこれを主婦連の大会開催を妨害する行為ということはできない。

(三)  次いで午後零時三〇分過頃、主催者側の角田房子が、「入場券の整理もできていないからいつたん全員退場したうえ、主婦連の人が先に入りあとで総評の人が入つてもらいたい」旨要請したのに労組員がこれに従わずに騒いだ点についても、たんに入場券を持えない者の退場を求めるだけならともかく、全員を退場させたうえ再入場の際には労組員を後まわしにするということでは参加資格に制限のない大衆集会の性格上、労組員が納得しないのも無理からぬところがあり、もともと入場券を持たないで入場した者があつたとしてもそれは前述のような総評労組員に対する入場阻止その他の主催者側の不手際に起因するものであり、他方、会場が満員となつて入場券を持参しながら入場できない人があつたとは認められず、また本大会は営利目的の催しでもないのであるから、労組員が主催者側の場内整理に反発してこれに従わなかつたからといつて、大会の開催を妨害するものということはできない。

(四)  しかし、午後一時二五分開会後に労組員の起した喧騒は、大会の遂行を妨害するものというほかない。勿論この種の集会において参加者の発言が喧騒を極め、そのため議事の進行が阻害されてもこのような発言がそのときの議事に関連するものであれば、それは討議行動であつてなんら業務妨害となる筋合のものではなく、また挨拶や演説に対する野次等が喧騒にわたつたことのみをもつて業務妨害とみなすべきではないが、本大会での労組員の発言は、その大部分が本件争議における比嘉周子の態度並びに主婦連の争議介入に対する抗議であり、その圧倒的な喚声、怒号と替え歌を合唱し、笛を如くなどの振舞によつてマイクの声をかき消し、壇上から勝手に演説し、スローガンのビラを引きちぎるなど共同して司会者の議事進行を阻害し、会長挨拶を完全に不可能にし、大会の運営を全く麻痺させたもので労組員のこれら行為は、主催者側の議事続行の意思を制圧するに足る程度の集団的威力の行使と認めざるを得ない。

弁護人は「組合員らが団結の示威をもつて相当程度の強い抗議を表明することは正当な組合活動として容認されるところで、本件において大会の進行を妨げる事実があつたとしても労働組合の争議行為に伴う正当な抗議行動の範囲に属する」旨主張しているが、主婦連が一連の争議介入をなし、大会当日も会場入口附近で総評非難の署名運動を行つていたとはいえ(これに対しては労組員も開会まで会場の内外で争議に関する実情の訴えと抗議を行つている)、消費者大会自体は消費者の経済生活を守るための集会であつて本大会においてもはじめから総評非難を議題としていたものでも、またそのような動議が開会後出されたわけでもなく(総評労組員の多数参加によつて、すでにかかる提案は事実上不可能になつていたものと認められる)、本件争議には直接関連するところのない消費者運動としての議事が進められようとしていたのであるから、主催者に対する抗議表明の程度方法は一般参加者に許容される発言、野次等の範囲にとどまるべきで、その限度を超えて、あるいは比嘉会長の挨拶阻止にみられるように大会運営に関し労組員の立場を一方的に押しつけるような形で大会の進行を阻害することは、主催者の大会開催業務に対する不当な侵害と解すべきであり、被告人片本、同森本、同平田ほか大多数の労組員の行動はまさにこれにあたるものである。

三 被告人帖佐の無罪理由

公訴事実第二によれば、被告人帖佐も他の労組員と共謀して主婦連の消費者大会開催の業務を妨害したというのであるが、同被告人が事前に他の労組員と大会妨害を共謀したことを認むるに足る証拠はなく、開会中の同被告人の行動については、前述のように壇上から事態収拾を呼びかけたもののほか、最前列で司会者に抗議めいた発言をしていたこと(証人藤本昇第三二回、岩城俊雄第三四回各公判調書供述記載)、椅子席の通路を往つたり来たりして労組員に話しかけていたこと(証人比嘉周子第一二回、藤井登美恵第一七回各公判調書供述記載)が認められるが、右抗議めいた発言なるものが、議事に関するものか否か明らかでないし、椅子席の通路を往来して他の労組員と話していたことをもつて、労組員の騒ぎを指導あるいは煽動していたものと推認することもできない。なお証人仲田貞子の第三一公判調書中の供述記載によれば、同被告人が他の被告人らと一緒に替え歌などを歌つていたとあるが、その時期が明らかでなく、また舞台に上り被告人平田に耳打ちして発言させていたとも供述しているが、当時の喧騒な状況の中でそこまで確認したとは考えられず、概して同証人の供述内容は他の証拠(とくに警察官の証言)に比べてかなり主観的で不正確のきらいをまぬがれないのでそのとおりには措信しがたいものである。

結局被告人帖佐が他の組合員と共同して大会の進行を妨害したと認めるに足る証拠はないので、犯罪の証明なきものとして刑事訴訟法三三六条後段により無罪を言渡すこととする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 吉益清 石川正夫 梶田英雄)

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